嫁ぎ先の義理の両親は2人共に60代で他界しました
義父は仕事中の事故で脊損となり
一命は取り留めたものの胸から下は麻痺が残りました
気管カニューレを挿入していたため話すこともできず
意思疎通が取れないジレンマに時折、癇癪を起こしていました
でも、基本的に優しい人で
義母から叱られる私をよく擁護してくれました
2年間、寝たきりでしたが義母ががんで他界した途端
後を追うようにして1ヶ月後に亡くなりました
よく、喧嘩もしていたけど実は仲良かったんだねと
葬儀に来てくれた親類の誰もがそう言ってくれました
義母は非常に気性の荒い女性で私はよく叱られたものです
9人兄妹の8番目の一人娘で男兄弟の中で育ち
大型ダンプの免許を取るくらいの男勝りでした
ウジウジするのが嫌いで、思った事は何でも口にする人です
なので、義母を煙たがる人も多かったようです
そんな義母が体調を崩し、がんと診断された時には
既に全身に転移しており、何もする事はないと言われました
余命3ヶ月を言い渡され、本当に3ヶ月後に逝きました
人の人生なんて儚いものです
あんなに高飛車で上から物言いの義母が
弱っていく姿を見るのは忍びなかった
私の顔を見るたびに「○○は?」と元夫の事を気にしていました
義母が顔を見たがっているので面会に行くよう勧めるが
元夫は、「行っても何を言っていいのかわからない」
「元気になるなんて嘘は言えない」と言うのです
何も言わなくて良いから顔を見せるように言いますが
元夫も、弱っていく母親の姿を見たくなかったのかもしれません
葬儀の時に大粒の涙をポロポロとこぼす元夫の姿に
親を失くすという試練を乗り越えようとしているのがわかりました
義母が行く瞬間は、本当にあっという間で
さっきまで、果物を食べ喋っていたのに
急に食べたものを吐き出し、タオルでそれを受け止め
洗面所でタオルを洗っているときに
「maronさーん」と義母が私を呼んでいたので
慌てて病室に戻ると、大量に食べたものを吐き
意識を無くしました
私は吐いたものが気管に詰まったと思い
ナースコールをして吸引をしてくれるように頼みましたが
そうではなく、吐いたことで血圧が下がり
ショック状態を起こしたものでした
すぐに家族へ連絡をしますが既に呼吸はありません
主治医が呼ばれ、心配蘇生を始めようとしましたが
「先生、もう、このまま逝かせてやってください」と頼みました
余命がない義母を蘇生したところで苦しめるだけだと判断したからです
先生も「そうだね」と合意してくれました
あまりにも、呆気ない最後でした
命が消える瞬間
最後に私の名前を呼んでくれた
しばらくは、その声が耳から離れませんでした
葬儀を終えた頃、元夫は、その瞬間に
1人じゃなく、私が傍に居てくれたことが良かったと言いました
そうだね でも それが息子だったらもっと良かったはず
胸の中でそっと呟きます
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